Homemade Village・竹内さんがいま気になる方を訪ねてお話をさせてもらう連載『Tiny Talk』。
Vol.3となる今回訪れたのは、北杜市須玉町にある『On the river』増満兼太郎さんです。
同じ北杜市が拠点ですが意外にも話をするのは初めてという2人。しかも実は同い年だとか。
話を聞いていくうちに、2人とも一周まわって肩の力が抜けた、子ども心を宿らせたいい大人なのだと思ってしまう、そんな対話でした。
ものづくりの終わりのない道のりも、不協和音も、たのしめる。
そんな2人のTiny Talkをお届けします。
増満兼太郎さん
造形作家/鹿児島県出身。武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。2015年に東京から山梨県北杜市へ移住。「On the river」と名付けた暮らしと仕事の場で、皮革、金属、木、紙などさまざまな素材を用いて、生活道具から装飾品、オブジェ、アクセサリー、玩具、版画まで、多岐にわたる制作を行っている。
つくって、つかう。失敗もあり、やってみるのみ
「毎日ちがった素材を扱っていて、そうじゃないと自分の構造が成り立たないと感じる」と話す増満さん。工房を覗かせてもらうと、皮革や金属、木などさまざまな材料が所狭しと並んでいます。やかんから湯気があがっている空間は、時間がゆっくり流れるように感じます。
竹内:増満さんは、生業としてはどのようなことをしているんですか?
増満:生業としては作家業ですね。何をつくってもよくて、日常的に使うものスリッパからおもちゃみたいなオブジェクトもつくりますし、いろいろな素材をつかっていろいろつくります。頼まれてつくるものもありますし、販売、展示もしていますね。壁の構成もやるんですよ。
竹内:壁の構成?
増満:渋谷にあるアーティスティックなコミュニティ施設「景丘の家」(運営:(株)マザーディクショナリー)っていう場所があって、そこで。
竹内:「mother dictionary」!久しぶりに聞きました!ひなちゃん知ってる?(森野:知らなかったです…)そういえば昔フリーペーパー『dictionary』をよく読んでいて、そこからカルチャーを吸収してました。エポックメイキングな活動してましたよね。
増満:ですよね!
竹内:あれ、増満さん何年生まれですか?
増満:僕、昭和49年です。
竹内:お~そうなんだ、同い年ですね!鹿児島にも『dictionary』置いてありました?
増満:そっか~!鹿児島にはなかったです。あんまり当時の流行りを知らなくて、東京に出てきて知ったんですよ。
竹内:大学で東京出てきたんですか?
増満:そうなんです。武蔵野美術大学に行って、建築学科でした。でもそのころはインターネットも普及してなくて。その時代って結構悶々としてて、建築科って言っても実際にものをつくれなくてプレゼンテーションで終始してしまうのがすごく不健康に感じてました。
それで、知り合った人に教えてもらって、靴づくりをはじめたんです。だから卒業制作、靴だったんですよ笑。
森野:建築よりも、靴という暮らしのなかの道具をつくる方がフィットしたのですか?
増満:うーん、フィットしたというか、靴をつくることで、自分の手で何かを生み出すって実感がもてた感じ。つくって、つかうということに当時は特別感があったんだよね。
続いて見せてもらったのは、屋外のピザ窯。扉も手作りされていて、佇まいがかわいらしいパン窯です。
「つくったら動かせないから、つくりたくなかったんですよ笑。この場所って決めるのも難しいんですよね。この石垣があったんで決め手にはなりましたけど、ずっとパズルみたいに考えてて、あるときピタッとそこにあるのが見えたんです笑」と増満さん。竹内さんも過去に石窯をつくったことがあり(なんと3回も!)、その奥深さに話が尽きません。
増満:自分たちで小麦をつくっているんで、せっかくだからパンとかピザも焼きたいというのもあってパン窯をつくったんです。
森野:お庭にキッチンがあるのは、いいものですか?わたしもつくりたいとは思ってるんです。
増満:楽しいですよ。簡単に焼けるから、小学生でもできるからゲストも線引きもなく、一緒にわいわいできて。外でやると解放感もありますしね。
田暮らしだと、1個のことでいくつかの解決をしないと時間が足りないんですよね。このピザ窯があれば、お客さんが来ても妻が「何か作らないと」ってならなくて、みんなでできる。子育ても家族のコミュニケーションも、いろいろ解決できるデザインを考えるのって時間がかかるし苦しいけど、ポジティブに解決しようってずっと考えてました。けど、自由ってそういうことな気がします。
竹内:うまく組み合わさったとき、気持ちいいですよね。
竹内:うまくいかなかったなあっていうのがあっても、失敗を味わえるってことはいいことですよね。何かをつくりながらその瞬間にもう次どうしたいか生まれてて、時間が許せば壊しちゃう笑
増満:出来は不具合があっても、そのプロセスがいい。それに、うまくいかなかったけどこの体験がよかったとか、客観的な意見ではなくて自分が決めることが大事だと思います。
この窯もイタリアのつくり方を勉強してやってみたんですけど、つくる過程で「よくできてるな~」と思うことがよくあります。つくるなかで、長く伝わってきているやり方の良さを知りますね。
竹内:つくってみるとわかることが、多いですよね。やってみた後は見え方も変わってくる。そんなことやっていると家から出られなくなるよね笑。
増満:どっちが仕事なのか暮らしなのかわかんなくなります。そういうことも含めて仕事っていうか、必要なことですかね。
竹内:作家さんはその方のキャラクターが魅力ですし、日々やっているお金稼ぎじゃないことがお金につながっているんだと思います。
増満:だといいんですけどね笑
ニワトリに見る、自然の世界。好奇心があれば生きていけるのだ
増満さん一家は、和玖くんが小学生のとき、ヒヨコを7羽飼い始めたそうです。それから鶏の魅力に導かれ、友人と「鶏小屋のすすめ」という企画をやるまでに!竹内さんも鶏に興味があるようですが、どのあたりが沼なのか気になるところです。
表のお庭には小さな鶏小屋が2つ、裏の畑には大きな小屋が1つあり、ここには1羽だけ鶏が入っています。
増満:この子は、ちょっといじめられてたので安全なところに連れてきたんです。鶏たちをお世話していると、小学校の先生みたいな気分になるんですよ。過保護にしすぎるのはよくないんですけど、いじめられて怯えていると好奇心を広げることができないと学んだんです。
ひとりにして小屋の中から自然というところに出してあげると、好奇心を広げることができる。それで元の場所に戻すと、自分で食べることに執着心が湧くんです。
一同:へー!
増満:人間も一緒だなと思うんです、環境を変えてあげて世界のなかで好奇心を広げられるようにするといいんだなと。意外と大人もそうで、好奇心が原動力。だから最近断言しているんです、子どもの教育で何を一番のトピックに掲げるかといったら、好奇心だなと。
森野:なるほど~。好奇心はどうやったら育まれると思われますか?
増満:いろんな体験、感情体験をするっていうことですかね。うまくいったとか、いかなかったとか。鶏を観察しているとおもしろくて、地面に食べ物だったりつつくものなど何か特別な気配がないと何もしないんですけど、一面に落ち葉を広げた途端「何かあるかも!」って期待して一生懸命ひっくり返すんです。要するに、好奇心って期待することだと思いますね。
竹内:想像力が発揮されますね。
森野:この子はいま好奇心をチャージしてるんですね。おもしろいな~。
増満:うまくいった経験から、次への期待値が上がる。だからまた元の場所に戻したとき、立ち位置は変わらないけれど、自分の知恵で解決しようとするんです。鶏を飼って、人間と言う自然を見てます。鶏、おすすめですよ。
仕事として、親として、ものをつくる。
増満さんの著著『父のつくったものたち』では、息子の和玖くんのためにつくった靴やランドセルなど、暮らしの道具からおもちゃまでさまざまな手づくりのものたちを見ることができます。そんな和玖くんも、もう中学生。竹内さんも子どもたちが高校生にあがり、お2人とも父親としての役割も変わりつつあるころです。
竹内:僕ら同い年だから似ているかもしれないですけど、親は団塊の世代で、父親は朝から晩まで働いているのが普通、ぜんぜん会話した記憶がないんですよね。
増満:そうですね、同じです。僕は自分の少年時代にあまりやれなかった分、満たされてないところがあって、和玖の少年時代がうらやましかったから一緒にやってるっていう部分があります笑。
森野:わたしは娘がいま6か月で、ぜんぶに対して目がきらきらしていて、食べるとか触るとか、そんなことでも楽しいんだ!って見ていて思います。
増満:うん、僕も息子がカレーを初めて食べたときの顔覚えてる。人間って、こんなにうまいっていう感情が溢れてくるんだって笑。中学生になると、もう彼は自分の世界があるし、社会に入っている感じなので親の立場から何かを変えるっていうのはできないですね。
竹内:僕も自分の父みたいに、子どもたちが小さいときはツリーハウス製作で全国飛び回ってて、ぜんぜん家にいなくて、初めて立ったとかしゃべったとかそういうのも見てないんですよ。あんまり子どもと関わらないで生きてきたっていうか。今はイベントとかHomemade Villageでやると自然にいてくれたりしますけどね。
増満:でも、一番いいのは大人の充実を見せることだと思います、僕は。和玖が中学生になって、あらためて自分の時間の使い方を考えないとなと思っていて。子どもにものをつくっていた時間を違うことに使えますし、自分自身にも目線を向けないとって思っています。
この先も、ものづくりをつづけていく理由。
竹内:今なにかやりたいと思っていることはあるんですか?
増満:やりたいこと自体は変わらないんですけど、やっている意味の解釈が自分のなかで変わってきたというか、まとまってきたんです。
竹内:たとえばどういうことですか?
増満:ものつくるっていうのは、“伝える”ことで。何のために伝えるのかっていうと、”セルフケアのすすめ”をするためだと。セルフケアとはつまり、自分を大事にすること。
ものをつくっている人は’形’という表現があるから、わかりやすいんです。一方で形づくらない人は自己表現できないかというとそうではなくて、自分の「好き」という気持ちを大事にして、気持ちを入れる、つまり気にいることによって手に取ったものを自分を守るお守り、心地よいエネルギーにする。自分で選んだ周りのものことへも気持ちを向けて大事にする、ということが大事ですね。
森野:増満さんのつくったものを手にとる人が、そのつくり手のエネルギーを受取るだけでなく、大事にすることで自分のエネルギーにするということですね。
増満:そのことをつくり手と使い手の共鳴ということでも、説明できますよ。
今シンギングボウルっていうのに取り組んでいるんです。金属でできたお椀型のボウルの音を鳴らして、倍音で身体に共鳴させて作用するヒーリングケアの方法で。それをやっていて、振動、ハーモニズム(調和や共鳴)って何事にも共通しているなって気づいたんです。今日の言葉やコミュニケーション、私たちの会話もそうです。
竹内:波ですね。
増満:そうそう。波とかハーモニズムって、自分自身のなかだったり、暮らしだったり、いろんな解像度で考えることができるんです。そう考えてみると結構おもしろくて、全部つながるなと。
竹内:カオスはどう考えます?不協和音とも言えますね。
増満:カオスは嫌かもしれないけど、必要ですよね。
竹内:そうですよね。なんだこれ合わない!みたいなところから生まれる何かみたいなものもあるなと常々思います。合わないからこそ、面白くなるんですよね。
増満:おもしろいですね。音も、すごく合わない、と聞いた瞬間に思うんだけど、違う順番で鳴らしたら合うというのもありますしね。
竹内:僕はね、不協和音が気持ちいいタイプ笑。何か大きな決断をするときはだいたい、何だか響き合いがおかしくなって不協和音がしてきたぞ、と思って、いつもそこから発見があるなと思ってて。
増満:すごいっすね、不協和音が好きだって言えるのはかなり思考が深い証拠ですね。でも、コミュニティのなかには社会的役割としてスパイシーな人が時々いないと。
竹内:みんなやっぱり同調しようって何かに合わせた結果、なんかよくわからないところにたどりつくことありますからね。
増満:それにしても、竹内さんの考え方はおもしろくて、不協和音が好きとか中二病って言っているのに、コミュニティっていう言葉がでてくる笑。
竹内:昔ながらのコミュニティの中では生きにくいタイプなんですけど、1人では生きていけないのもわかってるから、お互いの特徴を消し合わない、ある程度独立した人たちのコミュニティがつくりたいなと。集落などの地域コミュニティとは違う成り立ちのコミュニティですね。ただそういう意味では北杜市って、みんなそれぞれ独立して立っている存在の集まりなのでいいなと思ってます。
増満:家族も1つのコミュニティですし、どの解像度で見るかでも変わりますよね。みんなでやるよさはもちろんありますけど、みんなが集まらないと成り立たないっていうのは、本当のおもしろさがわからなくなりますよね。
竹内:僕はツリーハウスをつくるとき、現場ごとにその地域の職人さんとやっていたので、自分の作品のテイストも毎回変わるし、一個も同じようなものはできなかったんです。飽き性なのでそれがちょうどよかったのかも笑。
森野:増満さんも、毎日いろいろな素材をつかったものづくりですね。
増満:たしかに、毎日違いますね。1つの素材だけじゃ、自分の構造が成り立たないんですよ。
竹内:いろんな要素がいっぱいあった方が、自分自身の考えを表現しやすいってことですかね?
増満:そうですね。紙の性質とか皮の性質とか、それぞれの素材は性質が違って、木だけでも金属だけでも家はできないのと似ていて、自分はひとつの素材じゃ構造が足りないなって思うんですよね。だから考えることも昨日と今日で違う。
竹内:それが、毎日同じものをつくらない人たちの性格なんじゃないですかね。
増満:そうかもしれませんね笑。
==対談ここまで==
増満さんのつくる手回し珈琲焙煎機『Neji Coffee Roaster』にも、”自分をつくるいくつかの要素”という思いは込められています。仕事として、又は日々の暮らしのなかで珈琲を焙煎するということで、より豊かな生き方を考える。そういうことを伝えたいと、焙煎機の販売をされているそうです。
・・・
わたしは最近よく、仕事と暮らしについて考えることがあります。
都会で暮らしていたときは、仕事は暮らしとはっきりと区切られていて、それこそバランスを取ろうと頑張っていました。北杜で地域のみなさんと知り合い、農業と子育てがはじまってみると、その境目はどんどんわからなくなって、少し戸惑うこともあります。
けれど、増満さんの「1つの素材だけじゃ、自分が成り立たない」という言葉を聞いて、たしかにそうかもしれないと感じます。私を表現するものは、1つの仕事だけではないし、その仕事は暮らしとも境目がなく馴染んでいて、すべてがつながっていると。
そして日々の暮らしや仕事は、小さくても波を生み出すもの。
ものを手でつくる、つかい手に届く。
言葉を口にする、誰かが答える。
場をつくる、空気が変わっていく。
私たちが生み出すものはすべて、水面を打つ雫のように、遠くへ響く音のように、波をつくる。
どんな音を響かせるか次第で、誰に届くか、どんな和音が生まれるか、変わってくる。それを楽しみながら、日々目の前の「つくる」に一生懸命になる。それが本来の暮らしと仕事に対する姿勢なのかもしれません。
ひとりの大人として、子を育てる親として、そんな背中を見せることができたら、かっこいいなと思います。まだまだだけれど、まずはやってみることから。
写真:kota
文章:森野日菜子